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妊娠中の覚え書き

 
出産〜2ヶ月までの覚え書き


運命の日

2001年7月某日。この日、あたしは時計を気にしながら病院の待合室にいた。昨晩、妊娠検査薬でうすーく陽性を確認したからだ。別に体調の変化や月経の大幅な遅れなどがあったわけではない。ふと予感がして試してみたのだ。陽性?? ビミョーにラインが見える気がする。抗体の検査なのだからどんなに薄かろうとラインが見えれば陽性であることはわかっていた。夫に報告をしてみる。驚いているけど、喜んではいるようだ。あたしは、この妊娠に運命的なものを感じていた。なんだか最初から決まっていたことのように思えて、不思議と驚かなかった。

あたしは早く子どもが欲しかった。いずれ結婚するつもりなら順番など関係ないと思っていた。でも夫とつきあっていた5年間妊娠することはなかった。この年の初め、結婚に慎重だったカレもようやく観念して結婚を決め、入籍をすませたところだった。んで結婚にむけて準備するなかで、お互い自分の親について考えることも多くなり、あらためてその有り難さを実感していた、そんな矢先の出来事である。ここにきてあたしたち自身が親になることが許されたような気がした。そして、なんと言っても今日はあたしたちの結婚式の日なのだ。

"もうこんな時間。まだ両親への手紙も書いてないのに"あたしは少しイラだちながら順番を待った。ようやく名前を呼ばれて診察を受ける。尿検査は陽性。しかしあまりに初期すぎて(週数でいうと4週)超音波検査で胎のうが確認できなかった。妊娠は確実だがまだ子宮外妊娠の恐れもあるので、2週間後再び受診するようにいわれた。あたしが、"実は今日午後から結婚式で、明日から2週間、海外へ新婚旅行へいくんです"というと、先生は絶句した。

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天国にいちばん近い島

結局、妊娠のことは親にもろくに報告せず、翌日旅行に出かけた。今思えば、妊娠初期の最も不安定な時期にかなりの冒険だったと思う。幸いこの旅行は、”南の島で何もしないで寝て過ごす”という癒しのスケジュール(疲れていたのね…)だったため、あまり中止することは考えなかった。おなかのベビーも一緒に行くと思うとワクワクした。

ニューカレドニアの海は本当にキレイだった。鮮烈な青と白のイメージ。海の青がこんなにいろいろあるなんて知らなかった。天国にいちばん近い島とはよくいったものだ(その舞台となった島には立ち寄らなかったけど)。子どもができたんだなぁとなんだか不思議な気持ちになった。行ってよかったと思う。この海をベビーにも感じて欲しくて、なんと海に潜ったりもした(シュノーケリング程度)。このときすでにあたしは秘かに名前のイメージは海の青と決めていた。春生まれなのに夏っぽいイメージってヘンかしら?(まあ、実際ニューカレドニアは冬だけどね)

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つわりとむし歯

無事旅行から帰って病院へ行った。6週目。順調に育っていました。フツーこのあたりのニンプといえば、つわりでよくウッとかいってトイレに駆け込む姿を思い浮かべますが、あたしは吐くほど気持ち悪いってことはなかった。つわりでヤセるかと期待してたのに。どっちかっていうと、おなかがすくと気持ち悪いので、食べる量が増えたことと、終日ダルいのであまり動かなくなったことで太ってしまった。ヤバい。これから花の安定期に入ったらもっと太るかもしれないのに。運動でもするかな。

この頃、あたしもそうだったように空腹になると気持ち悪くなるひとは多いようで、常に何かを食べてたり、また吐き気のために歯みがきできなくなってむし歯を作る人は多い。よく赤ちゃんにカルシウムとられちゃうからなんて言う人もいるけど、やっぱり自己管理! 赤ちゃんのせいじゃない。ただ、妊娠中はホルモンの関係で唾液の質が変わってしまう(酸性に偏る)ので確かにむし歯ににはなりやすくなるんだけどね。歯みがきどうしても出来なくなったらせめて抗菌洗口剤でうがいをするといいかも。口がスッキリするので吐き気もおさまるような気がするし。あたしは、出産前後の入院中まで洗口剤が手放せなかった。生まれてくる子どもをむし歯にしないためには、まずは自分の歯を健康に保たなくちゃね!

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産院はどうする?

実はあたしは里帰り出産をするつもりだった。夫はいまいち実感がわかないらしく何か頼りないし、幼なじみが同じ頃出産するので同じ産院で産もうとしていた。15週のとき、地元で評判の良い産院を受診した。今行ってる総合病院は行くたびに先生が違うし、待ち時間のわりに診察時間が短い。それと比べて、アットホームな雰囲気で先生も親切。でも評判がいいせいか、大混雑で待ち時間は総合病院以上(ていねいに説明してくれるのでなおさら)。いつもはどこが何か確認する前に終わってしまうんだけど、ここではゆっくり超音波の映像をみせて説明してくれた。”元気ですねー、こんなに動いてますよ。”ホントだ。このコったら足のばしてる。前回の検診のとき、ヒトのカタチしてて感動したんだけど、動いてるのみて人間がこの中にはいってるんだなぁ、と改めて感動。ん?この股の下にみえるモノはまさか…"先生、もしかして男の子ですか?" 先生は苦笑いしながら "さすがにまだわかりませんよ" なーんだ。臍帯(へその緒)か。

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安産祈願が…

かなりムチャした初期の旅行(4週と8週)を乗り越え、食べづわりで危ぶまれた太り過ぎも(まー、もともとヤバめではあるが)、つわりが終わると急激に食欲がなくなって、結局8ヶ月現在で6キロ増とまずまず落ち着いた。味の好みも変わってきてしょっぱいものが食べれなくなったので、食事や運動などあえて気をつけなかった。家買って引っ越ししたり友人の結婚式で司会をしたり、すっかりニンプであることを忘れるほど好き勝手やってそれでも順調だった。

そんなんで迎えた新年。初詣に出かけようと深夜0時すぎ除夜の鐘を聞きながら家を出た。毎年近所にある一番大きな神社に年明けてすぐに出かけるのが習慣になっていた。小さな頃からお祭りの屋台が大好きだったあたしは、東京に来て屋台の派手さに喜んだ。特にナントカ八幡宮みたいな大きなところだと、大晦日から新年にかけては煮込みやおでんなどをつまみにお酒を飲めるスペースなどもあり、お参り二の次で深夜のお祭り騒ぎを満喫するのが好きだったのだ。ここ東京のはじっこI区に引っ越してきて、近所に八幡宮クラスの神社を見つけられなかったので、徒歩30分のところにある大仏で有名な某お寺にいくことにした。これまでの習慣通り徒歩で。このとき妊娠29週。

やっぱりニンプはムリしちゃいけません。この翌日からあたしは40度近い発熱をした。たちの悪い風邪をひいてしまったのだ。産院でもらった薬は効かないし、熱は下がってもひどい咳が続き、咳の拍子に産まれたらどうしようとホンキで思った。またこのとき、もうすぐ休みに入るのでいくつか仕事を抱えていた。休んだら本格的に取りかかろうと思っていた在宅の仕事もあったので、会社を休んで家にいても常にパソコンに向かっていた。そしてようやく風邪の症状が軽減してきたころ、別の症状に気づいた。

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むくみ、むくみ、むくみ!

体重が増えてる??発熱した日の検診から2週間で2キロ増えていた。看護婦さんに怒られた。風邪のせいでこの2週間、ほとんど水分しかとってないのに。 "ここのところ風邪でほとんど食べてなかったんですけど…むくんでるからでしょうか?" と聞いたら言い訳をするなという態度で "もともと体重があるんだから10キロ増までいいだなんて思わないでとにかく気をつけてくださいっ!"すごくへこんだ。そんなこと思ってない。水分もとるなってこと?? このときむくみはすでにプラスだったのだ。むくみのせいに違いない。あたしは家に帰りむくみ解消法について調べて、そして初めて減塩食に挑戦した。悔しかったのでむくみを解消して体重を落としたかった。

むくみはひどくなる一方で、シロウトのあたしがみても異常だった。でもニンプ的にはよくあることなのかとも思って、減塩食に励んだ。水分も控えて漢方も試した。いっこうに良くならない。ついに尿もほとんど出なくなった。この頃、夫の妹の結婚式があり出かけようとしたところ、クツが全く入らない。入るクツはすでになく、ミュールをなんとかつっかけて参列した。久しぶりに外出したこともあり、倦怠感がひどくて足のむくみはついには指のひとつひとつがまんまるくなるほどになっていたため、夫に頼んで帰り際病院に寄ってもらった。そしてあたしの足をみた先生は、すぐに"妊娠中毒症だな。ツラかったでしょう、かわいそうに。" あたしは、ナミダがでそうになった。通常、むくみ、高血圧、タンパク尿の3症状が認められて中毒症と判断されるんだけども、主症状は高血圧で、むくみは軽視されがちだ。でもここまでむくんでるとむくみだけでも充分中毒症なんだそうだ。結局薬を処方されてこの週末症状が軽減しなかったら入院の準備をして受診するよう言われた。

2日後受診する。先日看護婦に怒られてから2週間あまりでさらに4キロ増えていた。1月に入ってから6キロ。ここまで来たら病的だった。尿はほとんどでていない。体重増加の原因はむくみであることは明らかだった。晴れて(?)入院となった。このとき、入院の案内をした看護婦は例の看護婦だった。彼女は言った。"中毒症になっちゃったね…"どういう意味だ、チクショー!

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エンドレス入院生活

あたしはこれまで入院というものをしたことがなかったので、入院生活に憧れていた。入院の前日はまるで旅行の準備をするようにワクワクして支度をした。私も夫も2-3日ですむものと信じていた。実は、3月から夫の母と同居することが決まっており、この新居に夫婦二人で過ごせる時間は限られていた。そのため、できるだけ早くなおして少しでも家にいたいと思っていた。1月中に退院できたらいいね、などとのん気なことを言っていた。でももう夫婦二人だけの新婚生活(そうよ、新婚だったのよ!)は戻ってこなかった。

妊娠中毒症の治療はもっぱら安静と食事療法。食事は、塩分1日3gとはいえ、入院前自分でやみくもに塩分を抜いた食事より格段においしかった。あとは安静。これだけでむくみは幾分解消されたが、尿量は少ないまま、体重も最初の2日で2キロ落ちたきり、あまり変わらなかった。3日経っても1週間経っても退院は出来なかった。先生に聞いても"むくみがなくなったらね。" と言うだけだった。

最初に弱音を吐いたのは夫だった。夫の外食といえば必ず牛丼。ホントに必ずだ。いくら好きでも1週間も続くとツライらしい(カレは結局40日間牛丼生活を強いられることになる)。他のモノを食べたらといっても、帰りはいつも終電間近なため、選択肢が少ないのだという。それにしても…ねぇ。きっと今頃店のヒトにアイツ最近来ねぇなぁ、とかいわれてるに違いない。

あたしの病室はわりと広めの4人部屋。同室の人も同じ中毒症らしく、同じ減塩食のようだ。お向かいの人が先生に "これ以上タンパク下がらなかったら帝王切開ね。もう来週から37週入るから" といわれていた。満40週の日をいわゆる予定日といい、その3週間前、つまり37週から正期産となる。それより早いと早産というわけだ。早産になると赤ちゃんは当然小さめになるわけで、場合によってはNICU(新生児集中治療室)に入ることもある。そうなるとこの病院にはないので赤ちゃんだけ別の病院に搬送されることになるらしい。お向かいの人はこのとき36週だった。あたしは他人ごとのように、帝王切開なんて大変だねぇ、と思っていたが、同じ頃、あたしにもタンパク尿が出だした(入院時はマイナスだった)。

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まさかの帝王切開

タンパク値は、通常1dlあたり30mg以下なら問題ないとされ、マイナスやプラスで判定される簡単な検査ではこのあたりを境にプラスとなるらしい。あたしは2月に入って23になった。まだ正常の範囲だからといわれて安心していたら、週2回の検査でで次は42、その次は76まで上がった。この時点で出産まで退院出来ないといわれる。予定日まであと1ヶ月半もあるのに。このときベビーの推定体重2431g。思ったより育っている。

タンパク値は上がり続けた。35週に入ると100を突破し、ついに189まで上がった。この結果がでた時点でにわかにナースステーションばたばたし(あたしの部屋は真ん前なのだ)、若い先生があわててやってきた。 "今からもう一度赤ちゃんの大きさを調べます。もしかしたら明日にでも帝王切開することになるかもしれません" げ、あたしまだ35週なんだけど。

タンパク値が200を超えると少しでも早く赤ちゃんを出してあげた方がいいらしい。タンパクが尿から排出されるということは、赤ちゃんに栄養がいっていないということだ。この状態が続くと赤ちゃんがキケンというわけ。赤ちゃんの推定体重は2507g。多少の誤差はあるにしても1週間前からあまり変わっていない。劇的に赤ちゃんが大きくなるこの時期、成長が止まっている可能性が高い。

このときは週末にかかっていたため、若い先生しかおらず、判断しかねたのか、連日翌日手術になってもいいように、深夜12時以降食べ物はもちろん水分も摂らず、検査の結果が出るまで朝ご飯はお預けという日が続いた。食事はなんと塩分ゼロの食事に変わった(これはマズかった)。週が明けて、主治医の先生が来て方針が決まったらしい。200を超えないにしろ、タンパクが出続けていることには変わりないので、37週になるのを待って手術することになった。明日帝王切開と言われ続けて数日経っていたので、ここまでくると、もう早くしてという感じだった。日にちが決まってホッとしたのは事実だ。2月25日。誕生日がわかってるって変なカンジだ。

と、思っていたら、2月20日、なんとタンパク値が300を超えた。今度は主治医の先生があわててやってきてこう言った。
"明日手術しましょう"

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